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by tarat-tara
| 2022-08-08 14:51
こんにちは。 長らく、ブログはお休みしています。 最近は、インスタで 言葉と写真をアップしています。 友人のreiさんが写真、私が言葉の担当です。 当ブログが再開するまで、インスタの方に生息しております。 もし宜しかったら、覗いてみてください。 tara_reiで検索すれば出てきます。 #
by tarat-tara
| 2016-06-02 15:20
| 日々のつぶやき
公園とパブーイギリス人(何人であれ、イギリスに住む人という意味で、)の娯楽のなかで、この二つはとても大きのではないかと思います。イギリスの静かな楽しみと賑やかな楽しみ。 イギリス滞在での最大の収穫は、人生を謳歌する人たちをたくさん目にしたことでした。 思い思いのままに楽しむ人たちは、公園にパブに、美術館にカフェにあふれていました。 その光景を見て、楽しみは人そのものが生み出すものなのだと改めて感じたのです。 木が植わっているから公園ーではない。 絵があるからギャラリーーではない。 コーヒーや紅茶が供されるからカフェーではない。 リラッックスした人が公園を作り、絵を味わう人がギャラリーを作る。 会話を楽しむ人がコーヒーを手にしているからカフェで、、、、 公園、ギャラリー、カフェ、パブは人の中にあると強く思ったのです。 昔、環境破壊の状況を示す目安としてホタルがいなくなったことをデータとして挙げたところ、ある茅葺き職人の男性がポツリとつぶやいた言葉を思いましました。 ホタルがいなくなったことより、ホタルを愛でる人がいなくなったことのほうが悲しい、、、 愛でること、味わうことを諦めたくないと思います。 #
by tarat-tara
| 2015-11-20 22:11
| イギリス
一瞬、耳を疑いました。 そんなことがここで起こるのかと、半信半疑だったのです。 @@@ 私の通っているダンス教室で交わされていた会話が耳に入ってきました。私が教室を欠席していた時に、一人の男性を巡って女性二人の仲が険悪になり、なんと片方の女性がもう一人を平手打ちしたというのです。 仲が悪くなることは、どの人間関係でも起こり得ることですが、平手打ち、、、ドラマの中や映画では見たことがありますが、実際に見たことはありませんし、身近でも聞いたことがありませんでした。 この話を聞いた時、私は眉をひそめて、、、、いませんでした。それどころか、うっとりした気分になっていました。なんと、ストレートで鮮やかな行為、平手打ち。 あからさまに自分の負の感情を表に出すことは、たいていの場合歓迎されません。 大人気ないと言われるでしょう。 でも、なんと評価されようと、そのような感情が湧き起こるのも事実です。それを、すべて飲むべきなのでしょうか? それが、オトナなのでしょうか? 負の感情を飲み込んで、やっていけるのであればいいでしょう。でも、その場ではいい顔をして、影で悪口を言ったり、少しずつ仲間外れにしたり、陰険な行為で負の感情を解消している場合もあります。 そうであれば、はっきりとその場で怒りや負の感情を出してしまう方が、爽快だと私は感じるのです。 想像の中で聞こえた平手打ちの‘パチン’ の音が、なんだか気持ち良く響きました(双方、痛かったでしょうけれど、、、) @@@ 嫌な物事を、嫌だと表明しない習慣は、見上げたものだと思います。自己抑制のできる大人の態度だと思います。でも、本当は気持ちの消化が出来ていないのに、衝突を避けたいために、なかったことにして表面だけを繕う態度は本当にオトナなのでしょうか? 衝突は気持ちのいいものではありません。でも、人間関係は心地いいだけで成り立つものではないと思います。喜怒哀楽を交わすことで厚みのある関係を築いていけるのではないでしょうか、、、と、堅苦しい説明をするまでもなく、単純に腹が立ったなら、怒っていいじゃん! 人間だもの(みつをは嫌いですが) パチン、やってくれるじゃないの。。。 #
by tarat-tara
| 2015-11-10 12:31
| 日々のつぶやき
私はアートー想いのある表現全般に強い興味があります。 会った人に、好きな絵やら音楽について熱っぽく話すことがあります。 話しが弾むこともありますが、時々帰ってくる返答に、「私は、アートがわからないので、、、」 というのがあります。こう言われると、私は違和感を感じてしまいます。 そもそも、私はアートがわかっているのか? だいたい、‘わかる’ というのは、頭がすることであって、心は、まったくもって「わかって」いないと思うのです。 「私は好きじゃない」 とか、「(それを、見ても、聞いても)何も感じない」 と言われるのなら、納得できますが、わからない、と言われると、何か、噛み合わない気持ちがするのです。「ご飯食べる?」 と聞いているのに、「昨日たくさん寝たからいらない」 と返事をされているような。。。 もちろん、目を爛々として話している相手(私?)への気遣いというのもあるとは思いますが、アートが 「わかる、わからない」 という言葉は、心の自然な反応の邪魔をしていると思います。さらに、表現者への隠れ蓑になっているとも感じます。といいますのは、作品が評価されないときに、それは鑑賞者が自分の作品を 「わからなかったから」 と、責任逃れが出来るからです。 個人的な意見ですが、良い作品は、理屈抜きでイイと思えるものだと思うのです。目が、身体が吸い寄せられるような力を持った作品。長い解説を読んで初めてワカル作品というのは、それそのものの力が不十分ではないかと思うのです。 良い作品は心の糧になるものです。 わからない、と思っていらっしゃる方、まっさらな気持ちのままに作品と出会っていただきたいと思います。心がピクリとしたものが、良い作品です。今の時期は各地でたくさんの展覧会が開催されていますので、会場ではぜひ心を放し飼いにしていただきたいと思います。 #
by tarat-tara
| 2015-11-08 19:02
| 九州アートあれこれ
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